2014年2月27日木曜日

台湾で「北京側に民進党、現職党首の『消滅計画』あり」説:中国政府「反論の価値もない」



サーチナニュース 2014-02-27 11:05
http://news.searchina.net/id/1525363

台湾で「北京側に民進党、現職党首の『消滅計画』あり」説・・・中国政府「反論の価値もない」

 台湾最大の野党、民進党(民主進歩党)は5月、主席(党首)選挙を実施する。
 台湾では最近になり、「北京には5月の主席選に際しての『滅蘇計画』がある」との噂が駆け巡った。
 「中国側に、蘇貞昌主席の再選を阻止し同主席を消滅する具体的方策がある」との説だ。
 中国政府組織である国務院台湾事務弁公室の馬暁光報道官は26日の定例記者会見で、
 「根も葉もない話と認識している。反論の価値もない」
と述べた。

 同説を初めておおやけにしたのは、財団法人・台湾智庫の諮問委員を務める董立文博士とされる。
 董博士は1964年生まれで、民進党で大陸関係の実務を担当する大陸事務部の主任を務めたこともある。
  董博士は民進党内で「北京には5月の主席選に際しての『滅蘇計画』がある」と発言。
 中国共産党あるいは中国政府に蘇貞昌主席の再選を阻止し抹殺する何らの具体的方策がある」との説だ。
  台湾メディアは「滅蘇計画」説を「驚爆(驚き爆発)」などと報じた。
 蘇主席は同説を
 「私は計画を知らないし、報告も見ていない。
 しかし董氏の説は、極めて理が通っている。
 私は台湾の主権を堅持しているから、大陸が私を歓迎するわけがない」
と述べた。

  蘇主席は、
 「北京が挑発して罵(ののし)ることは、よくある話
と問題にしない考えを示した。
 「滅蘇計画」の噂の主席選に対する影響については
 「(私にとって)有利になるか、不利になるかはわからない。
 ただ、私の立脚点は台湾にとって有利になることだ」
と述べた。  
 同噂に関連して、大陸側が民主党主席として「ポジティブなエネルギーを持つ人物が好ましい」と考えているとされる。
 蘇主席の有力な対立候補とされる謝長廷氏は、自分が中国側の言う「ポジティブなエネルギーを持つ人物」とはかぎらないと主張。
 「そもそも、だれが主席に当選してもおかしくない。
 蔡英文氏になるかもしれない」
と述べた。

  国務院台湾事務弁公室の馬暁光報道官は26日の定例記者会見で、
 「台湾ではこの問題についてすでに、多くの公正な批評が出ている」
と、同説が台湾でも認められていないとの考えを示した上で、
 「根も葉もない話と認識している。反論の価値もない」
と述べた。

  董立文氏が「滅蘇計画」の存在を主張した理由は不明確だ。
 ただし、中国は江沢民政権時の1996年、台湾での総統選で「独立派」とみなす李登輝総統の再選を妨害するため、選挙時期に合わせて「海峡九六一」と称す軍事演習を実施、ミサイル発射などをおこなった。
  ただし、同威嚇により台湾選挙民に「台湾と中国は別。守らねばならないふるさと」との愛郷意識が高まったこともあり、李登輝総統は再選されることもあった。
 同選挙は台湾、さらに中華社会にとって初めての、直接選挙で民意を反映させる指導者選出だった。
**********

 蘇貞昌主席は2005年1月15日から同年12月3日に第11代民進党主席を務めた。
 陳水扁政権時の06年1月25日-07年5月21日には行政院長(首相)を務めた。
 12年5月30日からは第14代民進党主席。  
 謝長廷氏は2000年4月20日から02年7月21日まで民進党主席を務めた。
 陳水扁政権時の05年2月1日から06年1月25日までは行政院長。
  両氏とも民主党党内派閥の「福利国連線」に属していた。
 ただし民進党では現在、派閥活動が禁止られている。
 福利国連線の名は「福利国(福祉国家)を築き、新たな台湾を建設する」をスローガンにしていたため。

 対中国政策では李登輝元総統の考えに準じ、具体的な独立の動きは控え、現状を維持しつつ台湾の独自性を発揮するとの立場だ。
 民進党は現在の憲法(中華民国憲法)は「国民党政権下で、民主的な手続きが不備なまま制定されたもの」として否定的な姿勢を取り続けている。
 しかし謝長廷氏は、手続き上、改憲が極めて困難であることと、現行憲法が人権についても十分に配慮し、台湾社会に受け入れられていることを理由に、国民党に憲法に反する言動が目立つことを批判すべきと主張。
  さらに「中国と台湾は別の憲法を持ち、それぞれが60年、社会を営んで来た歴史の事実」を重視すべきとして、中国との関係は「互いの憲法を認め合う」ことが重要と主張している。
 中国は民進党を「本質的な独立派」として警戒しているが、謝氏は中国共産党とも対話を行う、民進党内では珍しい存在だ。
 蔡英文氏は2008年5月20日から12年2月29日まで、第12、13第の民進党主席を務めた。
 同党初、しかも中華圏で政権担当経験のある政党として初の女性党首だったが、12年の総統選で国民党の馬英九候補(同党主席)に敗北した責任を取って辞任した。 



2014年2月24日月曜日

李登輝・元台湾総統インタビュー:日本は、世界のためにアジアの指導者たれ

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●インタビューに応じる李登輝氏(撮影・淺岡敬史、以下同)


WEDGE Infinity 2014年02月24日(Mon
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3603

李登輝・元台湾総統インタビュー
日本への期待 安倍総理への期待

 日本統治時代の台湾で育ち、京都帝大で学び、学徒出陣で戦地にも赴いた。
 武士道を愛し、日本人よりも日本人らしい精神性を体現する李登輝元総統には、いまの日本がどのように映るのか。靖国から憲法まで縦横無尽に語り尽くす。

─昨年末に安倍晋三総理が靖国神社を参拝しました。

 国のために命を捧げた英霊に国の指導者がお参りをするのは当然のことで、外国から口出しされるいわれはない。
 私の兄も海軍志願兵として出征しフィリピンで散華したため靖国神社に祀られている。
 これは政治の問題ではなく魂の問題だ。

 私も総統在任中、台北にある忠烈祠に春秋の2回、参拝に行った。ただ、ここに祀られているのは抗日戦争で亡くなった大陸の国民党の兵士であって、台湾とは全く関係がない。
 しかし、私は大きな愛でもって彼らの霊を慰めるためにお参りに行った。

─アベノミクスは、一貫して高く評価していますね。

 為替の切り下げが重要だということを私は十数年前から言ってきたが、やり切る政治家がいなかった。

 経済成長の道は、
1].国内消費、
2].投資、
3].輸出、
4].そしてイノベーション
の4つ。

 日本は、台湾と同じく、資源を持たない。
 しかし、新しい製品をつくる技術と開発力がある。
 このような国にとっての柱は輸出であり、為替が重要だ。
 為替切り下げは近隣窮乏策だという人がいるが、そうならない。
 輸出が増えると輸入も増える。

 しかし、これまでの日本の総理は、中国や韓国、あるいは米国からの批判の心配ばかりしてきた。
 日本国民の指導者だという考え方がなかった。
 国際社会における経済的自立、精神的自立こそがデフレ脱却の鍵だ。

─世界経済の今後について、どう見ていますか。

 私はこれからの国家経済運営において、
 中国の国家資本主義的「北京コンセンサス」も、
 米国の新自由主義的「ワシントンコンセンサス」も
うまくいかないと見ている。

★.北京コンセンサスは、外国の資本と技術を頼りに、国内のあり余った労働者を活用する手法だ。
 成長率は高くても、中産階級は生まれず、格差に国民の不満が渦巻いている。  

★.「小さな政府」を志向し、国境を越えた資本の自由な移動を推進するワシントンコンセンサスも問題が多い。
 グローバル資本主義はこれまで世界経済をダイナミックに拡大させてきたが、金融市場の不安定性、所得格差拡大と社会の二極化、地球環境汚染の加速や食品汚染の連鎖といった本質的欠陥を解決できていない。

 私は、12年間の台湾総統時代、まず農業の発展に力を注いだ。
 そして、農業が生み出した余剰資本と余剰労働力を活用して工業を育成した。
 国家が基礎になって、国内の資源配分を行うこの経済運営は、日本がモデルになっている。

 経済発展は、元手となる初期資本をどこから生み出すかにかかっている。
 西欧は植民地から奪うことができたが、アジアの国々は地租を基礎にするしかない。
 日本の戦後の傾斜生産方式はその代表例だった。

 今後も、グローバル資本主義にただ任せておけば国内の経済が良くなるという可能性はあまりない。
 個別国家の役割は依然として重要で、とりわけ指導者の責任は重い。
 その意味で、安倍総理が打ち出している「3本の矢」を高く評価している。

─中国や韓国は安倍政権の外交政策を批判しています。

 安倍総理が就任早々、大胆な金融政策を打つと同時に、東南アジアを歴訪したのは素晴らしいことだ。
 中国や韓国の理不尽な要求に屈せず、アジアで主体性を持った外交を展開しようとしている。
 日本は、世界のためにアジアの指導者たれ、です。

 これからの世界の安全保障環境をもっともよく分析しているのは、イアン・ブレマーの「Gゼロ」だろう。
 中国には国際秩序を維持しようという意思はない。
 周辺国の内政や領土への干渉を繰り返し、力を誇示している。
 米国がこのままリーダーシップを失えば、世界はリーダー不在の時代になる。
 アジアや中東では地政学的リスクが拡大するだろう。

 国際政治の主体は国家である。
 複雑な国際環境に面して、国民を安全と幸福に導き、平和を享受できるかどうかはひとえに指導者の資質と能力にかかっている。

 指導者のリーダーシップという問題に、この20年間、日本は苦労し続けてきたが、安倍総理は経済政策にしても外交にしても大変よくリーダーシップを発揮していると思う。

─憲法改正をどう考えますか。

 私は、これまでも憲法9条は改正すべきだとはっきり言ってきた。

 国際政治では、それぞれの国家に対して強制力を行使できる法執行の主体は存在しない。
 国防を委ねることができる主体が存在しない限り、政策の手段としての武力の必要性を排除することは考えられない。
 戦争が国際政治における現実にほかならないからこそ、その現実を冷静に見つめながら、戦争に訴えることなく秩序を保ち、国益を増進する方法を考えるのが現実的見解だ。

 日本は、憲法改正という基本的な問題を解決しなければ、どのような問題に対しても国の態度をはっきりさせることができない。

■指導者は孤独に耐えよ

─指導者がリーダーシップを発揮するために何が必要でしょうか。

 信仰です。
 本物の指導者は常に孤独だ。国家のために尽くしていても、反対勢力やメディアから批判される。
 孤独に耐えるには、強い信仰が必要だ。
 それが、あらゆる困難を乗り越える原動力になる。

 最近の日本には、国民や国家の目標をどこに置くかについてきちんと考えを持った指導者がいなかった。
 安倍総理は違う。
 彼には彼なりの信仰があるように私には思える。

 私の場合は、キリスト教という信仰があった。
 私はもともと農業経済の学者でした。
 40代で奨学金を得て、米コーネル大学に留学し、そこで書いた博士論文が評判になった。
 当時、台湾では土地改革をめぐって農業問題が深刻になっており、行政院副院長(日本の副首相にあたる)を務めていた、蒋介石の息子、蒋経国に呼ばれ、自分の考えを説明する機会があった。
 そして、蒋経国が行政院長(首相相当)に就いたとき、政務委員(国務大臣相当)として入閣することになった。
 48歳の時です。

 6年間政務委員を務め、その後6年間、台北市長や台湾省主席を経験したのち、蒋経国総統から副総統に指名された。
 そしてその4年後、蒋経国が亡くなり、憲法の定めで総統に就任した。
 なぜ私のような人間が、蒋経国に抜擢され、総統になったのか。
 それは神のみぞ知る、です。

─「万年議員」を引退させたり、総統選挙を直接選挙にしたりと、大改革を次々実行しましたね。

 私はもともと学者だから、権力もお金も派閥もなかった。
 そういう人間が改革をやろうとしたものだから、困難ばかりで、夜も寝られなかった。
 国内では既得権者と闘い、対外的には大陸中国との問題があった。 

 そうした困難な事態に直面したとき、私は必ず聖書を手にした。
 まず神に祈り、それから聖書を適当に開いて、指差したところを読み、自分なりに解釈して神の教えを引き出そうとした。
 自分を超えた高みに神が存在していて助けてくれる。
 そのような信仰が、一国の運命を左右する孤独な戦いに臨む指導者を支えてくれる大きな力となる。

─日台関係をどう見ていますか。

 台湾に対して日本は長い間冷淡だった。
 しかし、司馬遼太郎さんが「街道をゆく」で台湾紀行を書いたり、中嶋嶺雄さんが「アジア・オープン・フォーラム」を開いたりしたおかげで、少しずつ関係は改善した。

 そして、安倍総理がフェイスブックで「友人」と発言し、懸案の漁業協定締結にもこぎつけてくれた。
 これらは、ここ40年間日台間に存在した表面的な関係を具体的な形として促進したものと言える。

 残る課題は日本版「台湾関係法」の制定だ。
 日本は日中国交正常化に伴う中華民国との断交以来、日台交流の法的根拠を欠いたままだ。
 国内法として台湾関係法を定め、外交関係を堅持している米国を参考にしてほしい。
 これは、今後「日米台」という連合によって、新しい極東の秩序をつくる上で、良い礎となる。

(聞き手/編集部 大江紀洋)
◆WEDGE2014年2月号より




台湾を揺るがす“政治素人”「柯文哲現象」とはなにか:既存システムに対する不信感の代弁者

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レコードチャイナ 配信日時:2014年2月23日 22時6分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83667&type=0

台北市長選挙がもうヒートアップ、
台湾を揺るがす“政治素人”「柯文哲現象」とはなにか


●台湾の台北市長選挙がヒートアップしている。焦点となっているのは、台湾大学病院の外科医、柯文哲だ。世論調査によると野党候補としての人気はダントツのトップ。

 台湾の台北市長選挙がヒートアップしている。
 焦点となっているのは、台湾大学病院の外科医、柯文哲(カー・ウェンジャー)だ。
 世論調査によると、野党候補としての人気はダントツのトップ。
 実は台北市長選挙が行われるのは今年の12月頃でまだまだ先の話なのだが、ずぶの素人が政治の世界に乱入したことで一つの社会現象にまでなっている。

 こうした「柯文哲現象」については、すでに朝日新聞1月17日朝刊の記事「台湾政界、素人の乱 台北市長選、54歳医師が有力」で報じられている。

 台北市市長といえば陳水扁、馬英九と現職、前職の総統を生み出した政治の要衝。
 医師出身の政治素人が台湾政界の台風の目となるのだろうか?

■既存の政治社会システムに対する不信感の代弁者

 柯文哲は1959年生まれ。
 祖父は日本統治時代に中学校の教師をしていたが、二二八事件で拷問され、釈放はされたものの1950年に亡くなった。柯文哲が生れる前のことである。
 彼の父親は二二八事件受難遺族としての暗い記憶を抱えているため、息子が政治の世界へ入ることには反対しているという。

 台湾では戦後しばらく国民党による一党独裁が続いたが、そうした権威主義体制がもたらした二二八事件や白色テロといった恐怖政治に対する批判として民主化運動が胎動、政治体制の中枢は外省人によって独占されていたことへの反発から台湾独立の主張もここに重なった。
 1986年には民進党が結成され、中台統一派の泛藍陣営(国民党や、国民党から分裂した新党、親民党など)、台湾独立派の泛緑陣営(民進党や李登輝を支持する台湾団結連盟など)という二大勢力が対立する政治構造が形作られてくる。

 柯文哲は二二八事件受難遺族に生まれたという出身背景から分かるように、政治意識としては明確に泛緑陣営に立っている。
 入獄した陳水扁の支持者でもあるし、昨年12月に東京で講演した折には李登輝へのシンパシーを語っている。
 なお、この東京講演の時点ではまだ立候補の正式表明はしていないのだが、日本の選挙でよく見かける片目が空白のダルマを贈られている。

 他方で、泛藍陣営と泛緑陣営の対立構造がすでにマンネリ化して、政治的争点を効果的に汲み上げられなくなっていることに対して国民の不満も根強い。
 柯文哲は国民党だけでなく民進党も含め、既存政治すべてに対して歯に衣着せぬ発言をしているため、そこが一般の人々からは受けているらしい。

 2011年に台湾大学病院でエイズ感染者の臓器を誤って移植してしまう事件が起こったとき、柯文哲も監督責任を問われた。
 ところが、行政も含めたシステム全体の問題を一方的に押し付けられたことに対し彼は臆せず発言したため注目を浴びたという。
 いずれにせよ、既存の政治社会システムに対する不信感を彼が代弁しているとみなされているのだろう。

■最大野党・民進党も支援に

 こうした動向を民進党もかなり意識している。
 現在の党主席・蘇貞昌(スー・ジェンチャン)は独自候補擁立にこだわっていたが、かつて総統選挙に立候補した経験のある有力者、蔡英文(ツァイ・インウェン)や謝長廷(シエ・チャンティン)が柯文哲を支持する意向を表明し、蘇貞昌も「柯文哲現象」を無視できなくなっている。
 民進党は必ずしも一枚岩の政党ではなく、有力政治家同士の足の引っ張り合いも頻繁に見られるから、そうした党内パワー・バランスの影響があるのかもしれない。
 いずれにせよ、柯文哲に対して民進党への入党を条件に正式な候補者とするという話も出たが、無所属のまま民進党は支援するという方向で落ち着きそうだ。 

 台北市長は任期4年、再選は1度までしか認められていないため、現職の●龍斌(ハオ・ロンビン、●=赤におおざと)は出馬できない。
 国民党から出る対立候補としては連勝文(リエン・ションウェン)の名前が取り沙汰されている。
 連戦(リエン・ジャン)元副総統の息子というサラブレッドである。
 そう言えば、●龍斌も●柏村・元行政院長の息子という世襲政治家だ。
 「政治素人」柯文哲の存在がいっそう引き立つ。
 なお、2010年に連勝文が銃撃されて負傷するという事件が起こったが、その時に救急外科医として対応したのが柯文哲だったという因縁もある。

■柯文哲の勝算は?

 柯文哲に勝ち目はあるのだろうか?
 台北市長選挙の動向について考えてみるが、過去のデータや分析については小笠原欣幸(東京外国語大学、台湾政治)「2010年台北・新北市長選挙の考察―台湾北部二大都市の選挙政治」を参照させていただく。

 台湾の選挙では北部は国民党が強く、南部は民進党が強いという色分けがくっきりと出る。
 台北市に関しても、
(1).外省人及びその第二世代、第三世代の比率が高い。
(2).公務員・軍・教育関係者の比率が高い。
(3).1人当たりの平均所得が高い、
という特徴がある。
 こうしたことから、国民党は台北市で固い基礎票を持っており、民進党はもともと劣勢だと指摘される。

 1994年に陳水扁が当選できたのは、当時の李登輝総統に反発して国民党を離党した人々が結成した「新党」が独自候補者を擁立し、泛藍陣営が分裂していたからである。
 この時以外は国民党の候補(馬英九、●龍斌)が50%以上の得票で当選しており、陳水扁は二期目を阻まれ、民進党から出馬した謝長廷(2006年)や蘇貞昌(2010年)といった有力政治家も敗れている。

 上記の小笠原論文では藍緑両陣営の基礎票を捉える指標として台北市議員選挙の得票率について考察されている。
 1994年から2010年にかけての両陣営の得票率の推移を見ると、泛藍陣営は低下傾向(60.8→54.8%)にある一方、泛緑陣営は増加傾向(30.1→39.0%)にある。
 トレンドとして見ると、基礎票のレベルで両者の差は徐々に縮まりつつあるようだ。

 となれば、こうした基礎票を固めつつ、浮動票を取り込む戦術を効果的に実施することができれば、民進党系の候補者にも可能性がないわけでもない。
 その点、柯文哲の場合には「素人」という世論受けする持ち味が武器になる。

 いずれにせよ、台北市長選挙はまだまだ先のことで、情勢も色々と変化するだろう。
 柯文哲の勝敗はともかくとして、彼の得票率には藍緑両陣営に飽き足らぬ無党派層の投票行動が反映されることになるように思われる。
 そこから、台湾における政治社会の一定の変化を垣間見ることができるのかもしれない。

◆著者プロフィール:黒羽夏彦(くろは・なつひこ)
台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学予定。




2014年2月20日木曜日

台湾との関係強化図る日本に中国が「待った!」: 日中共同声明に背くべからず

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レコードチャイナ 配信日時:2014年2月20日 16時28分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83720&type=0

台湾との関係強化図る日本に中国が「待った!」、
日中共同声明に背くべからず―中国外交部


●19日、中国外交部の華春瑩報道官は定例記者会見で、自民党の「日本・台湾経済文化交流を促進する若手議員の会」が協議を予定している日本版「台湾関係法」について、反対の姿勢を示した。写真は19日に開かれた中国外交部の定例記者会見。

 2014年2月19日、中国外交部の華春瑩(ホア・チュンイン)報道官は定例記者会見で、自民党の「日本・台湾経済文化交流を促進する若手議員の会」が協議を予定している日本版「台湾関係法」について、反対の姿勢を示した。
 台湾関係法は台湾との関係強化を目的としている。香港・文匯報(電子版)が伝えた。

 台湾関係法について華報道官は、
 「台湾問題は中国の核心的利益に関わり、日台関係を適切に処理できるか否かは、中日関係の政治の根本に影響する。
 中国は、日本の一部の議員が提唱する日本版台湾関係法に断固反対する」
と発言。
 さらに、台湾が中国の領土の不可分の一部であることが盛り込まれている「日中共同声明」に背くことなく慎重に台湾関連の問題に対応するよう求めた。




中台統一派の学者、独立派を批判:「アヒルは死んでもくちばしが硬い」

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レコードチャイナ 配信日時:2014年2月20日 5時0分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83661&type=0

中台統一派の学者、独立派を批判=「アヒルは死んでもくちばしが硬い」―香港メディア


●19日、日本問題専門家で、中台統一派として知られる許介鱗氏は香港・中評社の取材に対し、「台湾の中国接近が加速する中、台湾独立を主張する人は、死んだアヒルのくちばしのように考えを改めない」と批判した。写真は中国本土からの台湾ツアー団。
2014年2月19日、人民日報海外版によると、香港・中評社は、日本問題専門家で、中台統一派として知られる許介鱗(シュー・ジエリン)氏のインタビューを掲載した。

 許氏は1935年台湾新竹生まれ。
 東京大学で法学博士の学位を所得し、台湾大学法学院と社会学院の院長を歴任した。
 専門は日本の政治経済・外交、日中関係、台湾現代政治史。

 日本の文部科学省が1月27日、中学校と高校の学習指導要領解説書を改定し、尖閣諸島(中国名:釣魚島)と竹島を「我が国固有の領土」と明記する方針を明らかにしたことについて、許氏は
 「台湾は中国と共同で、釣魚島が中国のものであることを強調した歴史教科書づくりを推進すべきだ」
と指摘した。

 許氏はまた、台湾の王郁[王奇](ワン・ユーチー)大陸委員会主任の中国訪問を評価した上で、
 「韓国は中国と経済関係を深めてきた。
 台湾はアジアや欧州の国と国交がない。
 中国との経済関係強化を急ぐべきだ」
と強調した。

 許氏は、
 「戦時中、『日本帝国万歳』『天皇陛下万歳』と叫んでいた台湾の人々の声が、日本敗戦の翌日にはぴたりと止んだ」
と自身の体験を語った上で、
 「大勢の向かうところに人々の主張は改まるものだが、台湾独立を主張する人は、『アヒルは死んでもくちばしが硬い』という俗語のように、考えを改めない」
と批判した。



レコードチャイナ 配信日時:2014年2月20日 1時10分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83520&type=0

同化か、自治か―台湾に憲政を求めた林献堂の方針転換


●東アジアの近代を考える上で梁啓超(リアン・チーチャオ)の存在感は大きい。日本統治下における台湾民族運動の立役者として知られる林献堂(リン・シエンタン)もまた政治的方向性を模索する中で梁啓超からの影響を受けていた。写真は台湾。

 東アジアの近代を考える上で梁啓超(リアン・チーチャオ)の存在感は大きい。
 日本統治下における台湾民族運動の立役者として知られる林献堂(リン・シエンタン)もまた政治的方向性を模索する中で梁啓超からの影響を受けていた。

 1907年に27歳だった林献堂は初めて東京へ行った。
 当時、戊戌の政変(1898年)に敗れて日本へ亡命していた梁啓超は横浜で「新民叢報」社を設立して、清朝の立憲改革を求める言論活動を精力的に展開していた。
 かねてから梁啓超の盛名を聞いていた林献堂は是非とも面会したいと思い、横浜の彼の寓居を訪問したが、あいにくなことに不在。
 後ろ髪を引かれる思いで立ち去ったが、台湾へ帰る途中に寄った奈良で、旅行中だった梁啓超と偶然に出会う。

 梁啓超は広東訛り、林献堂は●南語(●=もんがまえに虫)を話す。
 二人は言葉が通じないため筆談で語り合った。
 漢民族意識の強い林献堂は日本の植民地とされた台湾の苦境を訴えたが、梁啓超の返答はこうだった。
 「中国には今後30年間、台湾人を助ける力はない。
 だから、台湾同胞は軽挙妄動していたずらに犠牲を増やすべきではない。
 むしろ、大英帝国におけるアイルランド人のやり方を見習って、日本の中央政界の要人と直接結び付き、その影響力を利用して台湾総督府を牽制する方が良い」(注1)
──当時、アイルランド自治法案の可決に努めていたイギリス自由党のグラッドストン内閣を念頭に置いていたのだろう。

 林献堂の熱心な招待を受けて梁啓超は1911年3月に台湾を訪れた。
 梁啓超としては、自らの立憲運動や新聞事業のため募金集めをしようという思惑があった。
 林献堂は連雅堂(リエン・ヤータン、『台湾通史』の著者で、連戦・元副総統の祖父)を伴って日本からの船が到着する基隆まで出迎え、そこから汽車へ同乗、台北駅に降り立った梁啓超は多くの人々から熱烈な歓迎を受ける。

 梁啓超は台湾各地を回って在地の名士たちと語り合った。
 言葉は通じないので筆談となるが、儒教的伝統の知識人は詩文を取り交わすのが習わしだから問題はない。
 しかし、在地の知識人は総督府の専制政治への不満を訴えるものの、梁はむしろ日本統治による近代化を評価しており、両者の考えは必ずしも一致していなかった。
 ただし、平和的・漸進的に政治改革を進めるべきだという梁啓超の示唆は一定の影響を及ぼす。

 中国の伝統的な知識人としての自負があった林献堂は、檪社という詩文グループに属していた。
 檪とは無用の木のことで、すなわち日本統治下では無用の人間という意味合いが込められている。
 そのような命名からうかがわれるように、詩社には清朝遺民の気風を持つ知識人が多く集まっていた。
 台中の檪社の他、台北の瀛社、台南の南社が有名で、こうした人的ネットワークが梁啓超歓迎の際にも機能したのだろう。

■林献堂と板垣退助

 梁啓超が台湾を去った1911年、辛亥革命が勃発する。
 1912年には中華民国が成立し、この機会に乗じて清朝の皇帝を退位させた袁世凱が自ら大総統の地位に就く。
 梁啓超は袁世凱の招きを受けて財政総長に就任した。

 林献堂は1913年に北京へ赴いて新政権の様子をうかがうのと同時に、袁世凱政権と対立関係にあった国民党の要人とも接触する。
 中国の実情を自ら観察した林献堂は、国内がこのように混乱している以上、台湾を助けるどころではないことを見て取った。
 その点では、確かに梁啓超が言うとおりである。
 そうなると、台湾人は自助努力によって目標を達成しなければならない。

 第一に武力で日本の統治者に抵抗するのは難しい、
 第二に現時点で中国には台湾を解放する能力はない、
 第三に日本統治による近代化は一定の成功を収めている
──こうした認識を踏まえて考えるなら、日本統治を当面の前提とした上で権利の向上を図るのが次善の策となる。
 そこで林献堂は、台湾人の地位や待遇を日本人と同等にするよう求めることに民族運動の最初の照準を合わせた。

 林献堂は東京で板垣退助や大隈重信などの政治的有力者に面会を求めた。
 1914年には二度にわたって板垣を台湾へ招く。
 かつて自由民権運動の闘士であった板垣は、林献堂の話を聞いて台湾人の置かれた差別的境遇に同情した。
 他方で、国権論者でもある板垣は、日本の南進政策や「日支親善」の架け橋となることを台湾人に期待していた。

 板垣の思想は、尊厳と権利の向上を求める台湾人側の思いとは同床異夢だったかもしれない。
 いずれにせよ、板垣の肝いりで同年12月20日に台湾人差別の撤廃を目指した「台湾同化会」が成立する。
 こうした動きを台湾総督府は警戒していたが、板垣の名声を前にしておいそれとは手が出せない。
 林献堂は「中央政界の要人と手を組め」という梁啓超のアドバイスを的確に実行したわけである。
 ただし、板垣が日本へ帰ると、翌年の1915年2月に「台湾同化会」は解散させられてしまった。

■台湾にも「帝国臣民」としての権利を、六三法撤廃運動とその転換

 1910年代以降、日本へ留学する台湾人が増えつつあった。
 植民地台湾とは異なり比較的自由な東京で先進的な知識や思想に出会った彼らは植民地体制の矛盾をますます認識するようになり、そうした気運は台湾民族運動を新たな方向へと導くことになった。
 東京にいた台湾人留学生が議論を交わした最重要のテーマが「六三法撤廃」問題である。

 台湾も大日本帝国の版図に含まれた以上、本来ならば日本人と同様に帝国臣民としての権利を享受できるはずである。
 ところが、日本政府は植民地統治の特殊性に鑑みて台湾における憲法の施行を保留し、明治29年法律第63号(通称を六三法といい、その後、明治39年法律第31号に引き継がれる)によって台湾総督の栽量による法律制定を可能にしていた。

 つまり、台湾総督府の専制的統治を批判し、台湾も憲政の枠内に組み入れるよう求めるのが「六三法撤廃」問題の要点である。
 こうした考えから林献堂たちは「六三法撤廃期成同盟」を設立して運動を展開した。
 板垣退助と共に設立した「台湾同化会」も同様の考え方に基づいていたと言える。

 ところで、六三法を撤廃して台湾を日本の憲法の枠内に組み込むと、台湾人を権利面で同等な立場に引き上げることはできるかもしれない。
 他方でそれは、台湾人を日本人に吸収=同化させてしまうことにならないか?

 ちょうど第一次世界大戦が終わり、ウィルソンの提唱した民族自決の原則が世界中で大きな反響を巻き起こしていた時期である。留学生たちはむしろ、台湾の特殊性を強調して台湾自治のための議会設立を優先させるべきだと考えた。
 こうした論争を受けて、林献堂も1920~21年頃に六三法撤廃運動から台湾議会設置請願運動へと方針を転換させる。

■内地延長主義と特別統治主義、同化主義と民族的自治

 憲法を台湾に施行して台湾人にも日本人と同様の権利・義務を持たせる考え方を内地延長主義といい、六三法撤廃運動はこれに依拠していた。
 しかし、こうした方向性は民族主義的な立場からすると日本人への同化主義と捉えられる。
 対して、台湾の特殊性を理由として日本内地とは別建ての統治システムを実施することを特別統治主義という。
 六三法によって憲法を棚上げした台湾総督の統治はその具体化であった。

 他方で、これを台湾の特殊性を認めるものと捉えるなら、同化を拒む民族主義的な立場からは自治への方向性を読み取ることも可能である。
 日本人か、台湾人かという立場の相違、専制的統治か民主的統治かという方向性の相違によって解釈は異なってくるが、いずれにせよ、六三法撤廃運動から台湾議会設置請願運動への方針転換は、権利向上重視から民族的独自性重視への思潮の変化として捉えることができる。

(注1)黄富三《林献堂伝》国史館台湾文献館、2006年、24頁。

◆著者プロフィール:黒羽夏彦(くろは・なつひこ)
台湾専門ブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど」、書評ブログ「ものろぎや・そりてえる」を運営。1974年生まれ。出版社勤務を経て、2014年3月より台南の国立成功大学文学院華語中心へ留学予定。





2014年2月15日土曜日

中国と台湾が関係修復、「日本はじき」が狙い :尖閣領有権で共闘

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レコードチャイナ 配信日時:2014年2月15日 9時52分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83415&type=0

中国と台湾が関係修復、「日本はじき」が狙い
=尖閣領有権で共闘―露メディア

 2014年2月14日、ロシア国営RIAノーボスチ通信は11日、
 「中国と台湾が関係修復、ともに日本に対応へ」
と題する記事を掲載した。
 参考消息網が伝えた。以下はその概要。
 
 中国と台湾はこのほど、1949年の分断後初となる当局者の公式会談を江蘇省南京市で開催した。
 重要課題での合意は達成されなかったが、会談の実施自体が中台関係が新たな段階に入ったことを示した。
 今回は閣僚級の会談であり、開催場所は「国民党政府」の首都・南京だった。

 南京での会談はアジアのマクロ政治に関係する。
 アジアの経済発展に伴い、米国は中東に代わって極東重視を打ち出した。
 尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題をめぐり、日中対立は激化する一方だ。
 歴史は複雑だが、台湾が中国を支持していることが分かるだろう。
 台湾は「(尖閣は)中国の領土だ」と言う。
 もしこれが1980年だったら、台湾は日本に反旗を翻し、中国を支持できただろうか。
 無理だ。時間の針は元に戻せないのだ。

 米国の同盟関係で最も重要な国である日本を、中国は「つまみ出そう」としている。
 中国メディアの報道はそれ一点張りだ。
 「日本の首相は戦犯が祀られている靖国神社を参拝した。
 米国さんよ、これをどう思う」
というわけだ。
 中国人と韓国人は「反日」で共通している。
 中台が関係を修復し、ともに日本に対応する。
 公にはされていないが、そういうことだろう。