2014年2月27日木曜日

台湾で「北京側に民進党、現職党首の『消滅計画』あり」説:中国政府「反論の価値もない」



サーチナニュース 2014-02-27 11:05
http://news.searchina.net/id/1525363

台湾で「北京側に民進党、現職党首の『消滅計画』あり」説・・・中国政府「反論の価値もない」

 台湾最大の野党、民進党(民主進歩党)は5月、主席(党首)選挙を実施する。
 台湾では最近になり、「北京には5月の主席選に際しての『滅蘇計画』がある」との噂が駆け巡った。
 「中国側に、蘇貞昌主席の再選を阻止し同主席を消滅する具体的方策がある」との説だ。
 中国政府組織である国務院台湾事務弁公室の馬暁光報道官は26日の定例記者会見で、
 「根も葉もない話と認識している。反論の価値もない」
と述べた。

 同説を初めておおやけにしたのは、財団法人・台湾智庫の諮問委員を務める董立文博士とされる。
 董博士は1964年生まれで、民進党で大陸関係の実務を担当する大陸事務部の主任を務めたこともある。
  董博士は民進党内で「北京には5月の主席選に際しての『滅蘇計画』がある」と発言。
 中国共産党あるいは中国政府に蘇貞昌主席の再選を阻止し抹殺する何らの具体的方策がある」との説だ。
  台湾メディアは「滅蘇計画」説を「驚爆(驚き爆発)」などと報じた。
 蘇主席は同説を
 「私は計画を知らないし、報告も見ていない。
 しかし董氏の説は、極めて理が通っている。
 私は台湾の主権を堅持しているから、大陸が私を歓迎するわけがない」
と述べた。

  蘇主席は、
 「北京が挑発して罵(ののし)ることは、よくある話
と問題にしない考えを示した。
 「滅蘇計画」の噂の主席選に対する影響については
 「(私にとって)有利になるか、不利になるかはわからない。
 ただ、私の立脚点は台湾にとって有利になることだ」
と述べた。  
 同噂に関連して、大陸側が民主党主席として「ポジティブなエネルギーを持つ人物が好ましい」と考えているとされる。
 蘇主席の有力な対立候補とされる謝長廷氏は、自分が中国側の言う「ポジティブなエネルギーを持つ人物」とはかぎらないと主張。
 「そもそも、だれが主席に当選してもおかしくない。
 蔡英文氏になるかもしれない」
と述べた。

  国務院台湾事務弁公室の馬暁光報道官は26日の定例記者会見で、
 「台湾ではこの問題についてすでに、多くの公正な批評が出ている」
と、同説が台湾でも認められていないとの考えを示した上で、
 「根も葉もない話と認識している。反論の価値もない」
と述べた。

  董立文氏が「滅蘇計画」の存在を主張した理由は不明確だ。
 ただし、中国は江沢民政権時の1996年、台湾での総統選で「独立派」とみなす李登輝総統の再選を妨害するため、選挙時期に合わせて「海峡九六一」と称す軍事演習を実施、ミサイル発射などをおこなった。
  ただし、同威嚇により台湾選挙民に「台湾と中国は別。守らねばならないふるさと」との愛郷意識が高まったこともあり、李登輝総統は再選されることもあった。
 同選挙は台湾、さらに中華社会にとって初めての、直接選挙で民意を反映させる指導者選出だった。
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 蘇貞昌主席は2005年1月15日から同年12月3日に第11代民進党主席を務めた。
 陳水扁政権時の06年1月25日-07年5月21日には行政院長(首相)を務めた。
 12年5月30日からは第14代民進党主席。  
 謝長廷氏は2000年4月20日から02年7月21日まで民進党主席を務めた。
 陳水扁政権時の05年2月1日から06年1月25日までは行政院長。
  両氏とも民主党党内派閥の「福利国連線」に属していた。
 ただし民進党では現在、派閥活動が禁止られている。
 福利国連線の名は「福利国(福祉国家)を築き、新たな台湾を建設する」をスローガンにしていたため。

 対中国政策では李登輝元総統の考えに準じ、具体的な独立の動きは控え、現状を維持しつつ台湾の独自性を発揮するとの立場だ。
 民進党は現在の憲法(中華民国憲法)は「国民党政権下で、民主的な手続きが不備なまま制定されたもの」として否定的な姿勢を取り続けている。
 しかし謝長廷氏は、手続き上、改憲が極めて困難であることと、現行憲法が人権についても十分に配慮し、台湾社会に受け入れられていることを理由に、国民党に憲法に反する言動が目立つことを批判すべきと主張。
  さらに「中国と台湾は別の憲法を持ち、それぞれが60年、社会を営んで来た歴史の事実」を重視すべきとして、中国との関係は「互いの憲法を認め合う」ことが重要と主張している。
 中国は民進党を「本質的な独立派」として警戒しているが、謝氏は中国共産党とも対話を行う、民進党内では珍しい存在だ。
 蔡英文氏は2008年5月20日から12年2月29日まで、第12、13第の民進党主席を務めた。
 同党初、しかも中華圏で政権担当経験のある政党として初の女性党首だったが、12年の総統選で国民党の馬英九候補(同党主席)に敗北した責任を取って辞任した。